ひとり言です。
偏った情報による『思い込み』で「◯◯ですよね」って言ったり、言われたりした経験は誰しもが多かれ少なかれあると思います。
私は大阪で生まれ育ちました。言葉も関西弁が抜けません。人とお会いした際に出身地の話題となり「大阪です」とお話ししたときに、府外の方からは「大阪ではお祭りの時期に街中で地車(だんじり)を走って曳くのですよね」とか「お祭りの時期には学校や会社を休んで準備をしたり、お祭りに参加するのですよね」と言われたことがありました。おそらくその情報は岸和田で開催される「地車祭り」を指しているのだと思いました。その方は岸和田のお祭りが取り上げられたテレビ番組か何かで放送されたのを見たのでしょうね。そう言われたときには「大阪で開催されるお祭りの全部が「地車祭り」で見られる“やりまわし(曳き手が約4トンのだんじりを勢いよく走りながら直角に曲がること)”をしているわけではないですよ」「岸和田市や和泉市など、大阪の一部の地域のお祭りだけですよ」とお話をします。
『知らない』が多いときにインプットされた情報は、受け取り側の主観的なイメージをもとに想像されます。「岸和田の地車祭り=街中を走って地車を曳く=大阪の全部のお祭りは威勢がいい(危ない)」と想像されたのかもしれません。こういった主観的なイメージによる本来とは違った認識は様々な場面で見られるのだろうと想像します。

障がい者雇用に取り組む企業への支援の場面でも障がい者に対する『思い込み』が原因となり、採用活動に影響が出てしまうことは少なくありません。
例えば、人事担当者から障がい者は「仕事中に奇声を発したりしないか」とか「コミュニケーションが取れないのではないか」と質問をされたことがあります。少なくとも就労系支援事業所や支援学校を通じて、求人にエントリーをされる障がい者についてはこの担当者が心配しているようなことはほとんど起こりません。おそらくですが、先ほどの「大阪のお祭りは地車を走りながら街中を曳く」と同様に、障がい者の雇用に関する経験が少ない中、偏った情報による『思い込み』が原因で発せられた質問なのだろうと考えます。
こういった『思い込み』が就職を目指す障がい者や支える支援者にとって大きな障壁になってしまう場面は決して珍しくありません。これまで、障がい者と関わる機会が少なかったのであれば、当然のことながら障がい者についての理解は浅くなってしまいます。多くのことは情報のインプットに加えて実際の経験・体験により理解を進めることができると思います。障がい者に関する理解も同様です。
法定雇用率の達成など、障がい者の雇用を目指したい企業の中には障がい者に関する理解が足りないにも関わらず、不足カウントを減らすことに意識を向けていると感じることがあります。
急いで採用をしたいという気持ちを理解しつつも、「急がば回れ」の如く段階を踏んだ取り組みを実践してもらいたいと感じます。雇用の障壁となり得る『思い込み』を残したままの雇用では、障がい者と周囲の間に必要のない溝が生まれる可能性があり、結果として誰かが傷ついてしまったり、その後の採用が止まってしまうことも考えられます。
また、障がい者の雇用を進める上で『他人は自分と違う』ということを認識することも大切なことだと思います。ことばでは認識できているのですが、常に他者と関わるときにそのことを意識できているかというと難しいと感じます。
仕事の場面で、部下が出した指示通りのことができていなかったら。それが、比較的難しい内容の指示でなかったとしたら、上司である自分は「これぐらいのことならできるはず」「できて当たり前なのになぜ?」と期待はずれの気持ちになってしまうことがあると思います。でも「できるはず」「できて当たり前」と思っているのは自分が主体となっている中での感覚であって、それが他者への押しつけになってしまっていないか、上下関係による一方的な評価と判断になっていないかと立ち止まって考えることで『他人と自分は違う』を受容できるのではないかと考えます。
障がい者雇用の場面において『他人と自分は違う』の受容は障がい当事者の置かれている状況、困りごと、求める配慮に関して、認識を深め適切な対応の提供・本人に適性にあった業務マッチング・コミュニケーションの取り方等に大きく影響することになります。

『思い込み』や『他人と自分は違う』をすぐに切り替えることはとても難しいことです。ですが、ひと呼吸置いてから頭に浮かんだ答えが正しかったのかを思い返してみる。また、組織やチーム内で『思い込み』や『他人と自分は違う』をテーマにしてグループワークを行なってみると様々な気づきが生まれ、新たな考え方を身につけられるかもしれません。