私は45年間重度障がい者をしています。よく生まれつきの重度障がい者は中途障がい者に比べて社会経験が乏しいため、就労・はたらくことは難しいと思われてきました。今もその考え方が根強く残っていて、社会構造も昔のままで変わらないと感じた事を書きたいと思います。
ご存知でしょうか。今の時代、重度障がい者であっても瞬きや視線や指一本動かすことができれば何でもできる時代となりました。以前のコラムでも書きましたが、私は「伝の心」というパソコンを呼吸で操作しながらこのコラムを書いています。
テクノロジーの進化は目覚ましく、昔は家で寝た切りか施設や病院で穏やかな日々を過ごすしかなかった重度障がい者ですが、物理的には健常者と同じようにはたらくことも可能な世の中になってきました。にもかかわらず、作業所や一般企業で重度障がい者がはたらく姿をあまり見かけないのはなぜでしょう?
障がい者が働く場所
まずよくある作業所としてパン屋、農業、内職のような作業を導入しているところがほとんどですね。重度障がい者から見ると「税金で運営してなんで内職?内職が出来たら作業所は必要なのだろうか?」と思います。
日本の作業所では知的、精神、軽度障がい者しか今だに通所できないというのが現状で「作業所だから作業が出来ない重度障がい者が行けないのは当たり前とよく言われますが」、私が幼いころの作業所はパン屋や農業は少なく、現在多少はバリエーションが増えてはきたものの内職のようなことをしている状況は変わらず、40年間時計の針が止まっているような感覚があります。
これは、入所施設でも同じように時計の針が止まっている感覚がありますので、障がい者福祉という世界自体が『変わらない』『変えないこと』がいいとされるのか?と思うぐらい全く変化を感じることがありませんね。
今世紀に入ってから重度障がい者でもIT技術を活用して在宅ワークを支援するNPOや団体が作られましたが、実情は行政からの支援も乏しく、今は団体の運営が下火になってしまったり休止や解散するところが多いというのが現状です。
パソコンを使ってはたらくことができる作業所というのも多少あります。でも、重度障がい者は家や施設から自由に出る事が困難なため、今の仕組み・制度では作業所に通わないと行政の支援が受け難いという状況であり、高い就労意欲を持っている重度障がい者はデイサービスに通うぐらいしかやる事がないのが現状です。
重度障がい者の雇用
もう一つの問題は重度障がい者を一般企業で見かけることがありますか?
国が定める障がい者雇用率が2,2%~2,5%で行政機関は高めに設定されており、約40人に1人が障がい者ですが、一見するぐらいでは障がい者だということが分からないぐらい目立っていませんよね。
- 下肢障がい:『車椅子に乗っている障がい者』と『乗っていない障がい者』
- 視覚障がい:『目がぼんやり見える障がい者』と『全く見えない障がい者』
- 聴覚障がい:『耳が聞こえ難い障がい者』と『全く聞こえない障がい者』
- 身体障がい:『寝たきりで介助が欠かせない障がい者』と『歩けて自立している障がい者』
状態の違いがあるのも関わらず、法定雇用率は、週の労働時間が30時間以上の障がい者を1カウント(身体及び知的の重度障がい者はダブルカウント)とし、週の労働時間が20~30時間未満の場合は0.5カウント(身体及び知的の重度障がい者は1カウント)と計算する仕組みはありますが、すべて同じ障がい者として雇用率に反映されるのが日本の法律です。
- 日本では軽度障がい者しか働けない仕組みがあります
- 先進国の障がい者雇用率はもう少し高く、ある程度の割合で重度障がい者を雇用する義務があります
- ひとくくりに障がい者とされる日本とは違い障がいの重さに応じた障がい者雇用率を定める国もあります
現状の日本の障がい者雇用には『はたらける障がい者の枠』があるように感じてしまい、枠から外れた障がい者ははたらけない社会だと感じます。しかし、どんなに障がいが重くてもテクノロジーの進化で瞬きや視線や指一本動けば何でもできる時代となりました。
法律による制度や仕組みさえ変えることができれば、重度障がい者であっても『家』や『施設』や『病院』からでもはたらくことが可能な世の中になっているのに、はたらける障がい者の枠や作業所は「みんな集まって明るく楽しく元気に作業をしましょう』的な考え方が多く、日本の障がい者雇用はITからAIへと時代が移り変わっている中でも、時計の針が動かずに昔のままです。
働く意欲がある障がい者が普通に働ける社会というのが『誰もが暮らしやすい社会』だと思います。