ひとり言です。
①一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと。「敵に包囲されて—する」「—無援」
②対立するものがないこと。「—義務」
①仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「—な生活」「天涯—」
②みなしごと、年老いて子のない独り者。
今、我々の社会生活においてSNSが大きく普及したことにより人同士の関わりも大きく変化しました。フェイストゥフェイスのような「生」のコミュニケーションからデバイス等を介した他者との関わり方で満足したと感じられる世の中になったのだと思います。このことは現代が「手軽」「タイパ(タイムパフォーマンス)」の時代であることを表現している事例のひとつだと感じます。これは働く場面にも見られます。
2020年に新型コロナウイルスにより世界中が混乱する中、他者との直接的な接触を回避する現象が社会に広まりました。その対策のひとつとしてリモートワークという働き方が国内の企業で導入が進みました。
リモートワークのメリット面の特徴としては「安心した環境下で仕事」「通勤しなくて良い」「時間の有効活用」「チャットなどのコミュニケーション方法の多様化」「業務成果の均一化」などが挙げられます。一方でリモートワークのデメリット面の特徴としては「外出機会の減少」「運動不足」「公私の切り替え」「他者との関わり方」などが挙げられます。
この中で「他者との関わり方」について、業務に関連した内容のコミュニケーションが多くなり、一方で雑談のような人間関係の構築に影響のある余白部分としての交流が希薄化することで、表面的な人間関係となりやすく結果として一緒に働いているのも関わらず「相談ができない」「頼ることができない」関係性が生まれます。
私が関わっているA社では多くの障がい者をリモートワークで雇用しています。その中で配慮を行っているポイントとして「孤立させない」「孤独にしない」ための環境づくりです。
リモートワークでは当然のことながら物理的には自分ひとりが働いている職場環境ですから、業務に集中しやすく周囲からの雑音が入りにくい分、孤立・孤独を感じやすくなります。同社では常にマイクとカメラで相互に連絡や相談、質問ができる環境をつくり、障がい者同士が「ひとりではない」「気になることがあればすぐに相談できるから大丈夫」と感じられるような配慮を提供しています。
ハーバード大学の研究では慢性的な孤独感は1年あたりの死亡率を26%も高めるという結果が出ています。アリストテレスは「人間は他者と共同体を形成して生きる動物」であると表現しました。普段の生活の出来事や美味しかった料理、感動した体験などをSNSで発信し、受け取り側からの反応をもらうのは、自分が孤立・孤独にならないための行動のようにも見えます。
人は孤立状態の場合、健康への影響も大きいことが分かっています。孤立状態ではストレス値が高い状態となるため自分の健康への関心が薄れてしまい、抑うつ的状態が進行すると心身へのダメージが高くなります。結果として免疫力の低下により癌や脳卒中、心臓病のリスクが高まります。他にも犯罪者の出所後の再犯率についても孤立によるものが大きな原因にひとつに挙げられます。
他者との交流が感じられなくなり、自分が孤立・孤独だと感じた状態にある時、人はネガティブな思考が強くなります。
例えば、
「自分は誰からも必要とされていない」
「悪口、陰口を言われているのではないか」
「生まれてこなければよかった」など。
人間関係はときに煩わしさや揉め事を生み、心にストレスという摩擦を生じさせるのですが、人が自分の存在を認識するのは、他者と交わすコミュニケーションによるものです。仕事の場面では、自分に与えられた業務が会社の売上・利益につながっていると感じることで組織に貢献している・社会の役に立てているのだと実感することができます。
しかし、「就職している」「雇用している」から孤立していないわけではありません。
社会には、会社・部署・チーム・学校・クラス・部活・同好会・ファンクラブなどなど、様々な組織がありますが、「参加≠孤立していない」ではありません。雇用している、他の従業員と一緒に働いているから大丈夫だと判断をしていないでしょうか。本人がどのように感じているのかが大切だと思います。組織に参加していても「いじめ」「無視」が存在すれば、その当事者は孤立している状態と同じです。もしかすると、組織が隠れ蓑となってしまい孤立を認識しにくいため、タチが悪いように感じます。
「いじめ」「無視」は別にしても、「従業員からの声が届かない環境」「会社が従業員に関心を持たない」場合、離職率が高くなったり、職場への不満から従業員同士の関係性も悪くなりがちです。いつも飲み会に誘っても来ないから「今回誘っても来ないだろうから声を掛けない」よりも「来ないかもしれないけど今回も声を掛けよう」で孤立を防ぐことにつながると感じます。
もしかすると本人は申し訳ないと思っているかもしれない、行きたいけど個人的な理由で参加できないのかもしれない。と思える組織でありたいと思います。
孤立・孤独には社会の側にも理由があるのではないでしょうか。