仕事を辞めた後、また新しい仕事を探さないといけないと必死になって探した。
まだこの頃は探す元気もあった。
あらゆるサイトやアプリを見てここがいいんじゃないかと狂ったように探し始めた。
とりあえず職場に行くと人の声が聞こえたら嫌なので在宅の仕事を探していた。
メールが何十件も来るくらい登録サイトや企業に登録し、何も知らずに少し遠いところまで場所も知らないところに在宅の仕事がないか探していた。
酷い時には沖縄まで登録していた。
いくら在宅だからと言っても家で完全にできるわけではない。
一応、何カ月間は研修みたいなのに行かなければならない。
それを知り、在宅での仕事は諦めた。
ところによっては完全在宅というのもあるようだが、それに気づいた時にはもう遅かった。
その頃からだった。あんなに仲の良かった家族に当たるようになったのは。
早く仕事を見つけなければという焦りと不安で情緒がおかしくなっていた。
このようなことは今まであまりなかった。
自分でも言うことではないが、温厚な性格で大人しかった自分が物を投げたり、泣き叫んだりしていた。
家族が用事で出かけてる時の夜が居心地のいい日もあった。
夜だから外でざわつく人もいない、家でも一人。
静寂の中、この世界にたった一人でいる感覚だった。
それが心地よかった。
朝が来るのが憂鬱でしかなかった。
また何もない一日が始まるのかと思ったら不快で仕方なかった。
やりたいこともなく、やることもない。
テレビではいろいろな情報が伝わってくる。
とにかく情報を遮断していた。
自分が聞きたくないことを全面的にシャットアウトした。
生放送なんて何が起こるかわからないからはなから見ない。
動画でさえもSNSでさえ最初の頃は全く見られなかった。
家の家事も家族がやってくれていたので自分ではやる気が起こらず、ひたすら寝るか、パソコンに自分の考えや感情をぶつけるかだった。
一つだけできたのは、音楽を聴くことだった。
昔から音楽を聴くことが大好きだったので、そこは奪われたくなかった。
音楽と言っても自分が聴ける音楽。
できるだけ暗い音楽じゃなく、楽しいテンションが上がる音楽を狂ったように聴き続けていた。
毎日一日中、自分で盛り上がる曲と題してセットリストを作って聴き続けていた。
音楽を聴いてる時間は外の声とシャットダウンしているため何も考えずにいれた。
音楽によってもあまりにもアップテンポな曲が連続で続くとかえって躁状態になり急に
体調が悪くなるので時にはジャズやまったりした曲などを試し聞きしながらセットリストを作っていた。
全く違う話をするが、わたしは昔からどこかクールで大人びた人間だった。
何をするにも一人で一人が大好きな子供だった。
将来は東京へ上京して一人暮らしをしようなんて思ったりもしていた。
自立はしてないが、あまり手のかからなかった子供だったと思う。
それが最近では、側に誰かがいなくては何もできなくて寂しがりやな大人になってしまった。
なんだか成長と逆を行っている感覚だった。
誰かと話さずにはいられない。
休みの時は友達を家に呼んで来てもらったり、遠くに住んでいるおばあちゃんにいきなり電話かけたり、たくさんの人に助けてもらった。
親が共働きしているため、昼間は実質わたし一人だけになってしまう。
父や母が休みの時はどこか車で出かけるようになったり、それでもヘッドフォンは外せなかった。
母が仕事前には少し話ができるからそれが唯一の楽しみであり、救いだった。
誰にも言えないことを相談乗ってもらったりして母に話すと自然と安心した。
家族の仲が良かったのは本当に私の救いであると思う。
そんな生活をしていた時、母が就労継続支援(B型)の案内をもらってきた。
最初は何が何だかわからなかった。
そんなわたしのために母は、わたしの病状と現状にどうにかしないといけないと心配し色々調べてくれた。
母は昔から明るく優しい人で、いつも困ったときやわたしがどうしようもない時、相談に乗ってもらったり元気づけてくれたり、手助けをしてくれる。
母はいつも言う。わたしが産んだ子だからと。
わたしは母に感謝しているが、なかなか親孝行できないで、ましてや最近では当たってしまったりしている。
いつか母を安心させるために病気や今のこの現状を変えるためにも就労支援(B型)に行くことに決めた。
初めは何も知らないところから入ったので、自分が障がい者という自覚があまりなかった。
正直な話、自分は病気なのだという自覚はあったが障がい者という自覚はなかった。
大変悩んだ。健常者だったわたしが変わってしまうのに違和感を感じ、見た目は普通なのにと何度も思った。
思いもよらないことに戸惑った。
しかしこの数カ月間のわたしの姿を見て母はこのままではわたしの未来が不安だとどうにかしなければならないとこの話も持ちかけた。
そしてわたしは首を縦に振った。
このころのわたしは覚悟という覚悟はまだなかったけれどここからゼロからのスタートをきるんだと思った。
ここからわたしの第二の人生が始まる。