なぜわたしは双極性障がいと診断されたのか。
過去に遡ってみようと思う。
幼少期のころ、わたしはとても大人しい子供だった。
親に意見を言えないような内に気持ちをこめてしまう子供だった。
中学生の頃、周りの中でいじめが流行った。
わたしはターゲットにされないようにこっそりと端っこの席で静かに過ごしていた。
そのおかげでわたしはいじめというものの標的にされなかった。
高校生になり、友達は増えたが、中学の時にずっと一人でいたので、何か違和感を感じ
周りに人がいることが耐えられず(友達の友達だということもあったが)高校3年の時は結局、一人になった。
もの覚えが悪く、勉強が苦手だったというのもあったが、高校時代はあまりいい思い出がなかったため、大学にかけようと前向きに大学に進学した。
その大学はメディア関連の大学だったため、覚えるというより小論文を書くというのが出題された課題だった。そのため文章を書くことが好きだったわたしには何の苦労もなかった。
友達もできた。二人だけだったけど、卒業した今でも関係を続けてる貴重な友達だ。
その友達とは、お互いにお笑い好きという共通の話題があり、毎日楽しく話していた。
今思えば、ほぼ毎日一緒のいたのかもしれない。それほど飽きることなく一緒にいられる友達だった。
その友達のおかげでわたしは少し元気を取り戻し楽しい毎日だった。
そのあとのことである。4回生になり就職活動をしなければならないとなったとき、その時働いていたコンビニで違和感が起こる。
その時の就職活動といえば就職氷河期でなかなか就職できない状態だった。
わたしもその時代の波にのまれ、30社受けても全然受からないという、もうそこで心と体の限界が来ていたのだろうと思う。
コンビニで働いていた時、お客さんの声が何故か気になるようになった。
お客さんの声が自分に向いて言っていると感じてしまう、何故かありえないことが起こった。
他人の声なんて気にしたことなかったのに何故か気にしてしまう。
その時、していた恋愛のことを他人が話してる。私のことだ!と思うようになり、いまだにまだその時のトラウマが残っている。
その頃に母親がおかしさに気づき、近所の心療内科に通うことになった。
しかし、そこでは話は聞いてくれず、処方箋をくれるだけ。
母は違うところにしようと、今度は女医さんがいるところに心療内科を変えた。
その先生はまず初めにノートに自分の気持ちを書いてみてと言った。
先生に言われるがまま、ノートに自分の気持ちを書いた。
すると溜まっていた内に秘めたものがワーッと吐き出せてスッキリした。
その病院で初めて双極性障がいと診断された。
薬は多かった。でもそれでよくなるならと飲み続けた。
すると自然に他人の声が気にならず、外にも歩けるようになり、友達ともライブに行けるようになった。
とりあえずこの病気は薬治療が大切だと先生が言っていた。
あとは自分の気持ちを吐き出すこと。
そのころ、就職活動をしていてエステの求人があった。
駄目なことだが、少し面白半分でエステの求人を受けてみた。
変わった仕事がしたかったという理由で応募してみた。
あれよあれよという間に合格して最終選考まで残って晴れて就職できた。
あれだけ合格できなかったのにすんなり合格できてびっくりしたけど嬉しかった。
初めて自分を受け入れてもらえた気がして。
しかしそこが落とし穴だった。
結局そこのエステは4か月で辞めてしまった。
理由は今で言う、上司からのパワハラというやつで耐えられずにすぐに辞めてしまった。
上手い話には何かがある。そこで学んだ。
そこからだった。またあの症状が出たのは。
また、人の声が気になるようになった。
エステでのストレスだったのかわからないが、また振り出しに。
仕事もやめて1年くらい引きこもりの生活をした。
引きこもり生活は今まで外に出れていた自分にとってはとても過酷なものだった。
大好きなお笑いもなにかテレビを通じて芸人さんがわたしに向かって言うんじゃないかと本当にあり得ないところまで病状は悪化した。
音楽も聴ける音楽しか聴けない。
失恋ソングや落ち込む音楽は余計に落ち込むことが多いので聴くのをやめた。
テレビなどの生放送もまず何か言われるんじゃないかと感じてしまうため、見れないから家族にはテレビを消してもらっていた。
家族の応援なしじゃなかなか気分も上がらなかった。
その時は、鬱状態が続き、落ち込み、一日中寝ることが多かった。
わたしは双極性障がいというより鬱病じゃないかとその時は思っていて、友達には鬱病と言っていた。
活字が読めなかったわたしだが一冊の本は読めた。
芸人さんの本だから面白おかしく書いてるけど、なんだか私と思ってることが一緒で読み進めていくうちに飲み込まれ一気に最後まで読めてしまった。
その本が私の救いで何度も読み返した。
そのおかげで少しづつ見れる、読めるものが多くなっていき、何とか外に出られるまでになった。
と、ここまでも紆余曲折あったがこれからまた仕事して辞めてからの今の状態についても話していきたい。