「光を失っても、音で照らす」〜視覚障がいのギタリスト・吉野誠さんの再出発〜

こんにちは。上肢がいの啓太です。

今回はご縁あって、たまたま遊びに行ってた埼玉県にて、視覚障がいを持ちながら音楽活動をされている、吉野誠さんにお会いしてきました!
吉野さんは現在全盲で、白杖や点字を活用しながら日常生活を送られていますが、ギターを弾いて音楽活動をされている方でもあります。どのような経緯で失明され、またそこからどのようにして立ち上がり、ご自身のハンディをどのようにして活動につなげているのか、じっくりお話を聞いてみました!

①失われゆく 視力と向き合う日々

会社員として働いていた吉野誠さん(68)に網膜色素変性病という病が発症したのは、自身が37歳の時だ。何気なく受けた目の診察で、医者から「将来、あなたは失明しますよ」と言われ、信じられない心境だったと言う。

ギターを演奏する吉野さん

にわかに受け入れられないので、他に何件か病院をあたってみたが、返ってくる答えはどこも同じだった。それからだんだんと、夜間に見えづらくなったり、視野が欠けてきたりなどといった症状に、吉野さんは悩まされる。その時の感覚は「真綿で首を絞められるようだった」と本人は話す。それまでは何とか仕事をこなしていたが、50歳を超えてからそのような症状に見舞われ、だんだんと目が見えなくなっていったため、仕事も辞めるしかないのではと強い不安に駆られた。しかし当時勤めていた会社の社長は「見えなくてもできる仕事はあるから辞めなくていい」と言ってくれた。妻も「あなたが今まで頑張ってくれたから家計は大丈夫」と、周りの人たちが支えてくれた

そのように周囲の人々が励ましてくれたおかげで、再び立ち上がる気力も湧いてきた。
やがて視力を完全に失ってしまったため、吉野さんは役所の勧めで県立リハビリテーションセンターへ自立訓練を受けに行き出す。

② リハビリセンターでの再出発

センターでは、白杖の使い方や料理の仕方、点字の読み方など、1年半もの間訓練を続け、見えなくても日常生活ができるようになったと言う。「失明してからは自分に何ができるのだろうと途方に暮れていたが、訓練を重ねることにこれまで通りまた日常生活を送れるようになっていき、だんだんと自信もついてきましたよ」と吉野さん。
センターでは、吉野さんのような目の不自由な方だけでなく、車いすや手が不自由な人も日常生活を送れるよう様々な訓練をおこなっていたという。

仕事の方でも、これまでは営業部長をやっていた吉野さんだが、同僚の勧めでお客様相談室に変えてもらった。主に電話対応による顧客への相談窓口業務であったため、目の不自由さもさほど支障にはならなかったという。

そんな時に友人から、吉野さんが昔やっていたギターバンドをもう一度一緒にやらないかという提案があった。高校生の時にやっていたとは言え、見えない状態からのリスタートは大変な努力を要した。そんな中でも、周囲の人々からの励ましや、吉野さんの曲を聞きたいなどの要望に押され、人前で披露できるほどにギターは上達した。かつてのバンド仲間と演奏を重ねるうち、自分だけでなく、ほかの視覚障がいの方も一緒に音楽活動ができれば互いにいい影響を与えあえるのではないかと吉野さんは次第に考え始める。

③ 音楽との再会、そして再起動

音楽活動を進めつつ、一緒に音楽活動をやる仲間を募っていると、吉野さんの活動を知った同じ埼玉県内の視覚障がい者の方からも、「自分も一緒に音楽活動をやりたい」と、参加を希望する声が集まってきたと言う。そのようにして集まってきた仲間と、現在は「虹色」という音楽ボランティア団体として活動している。

「主に老人ホームや障がい者施設などで活動させてもらってます。利用者の方々と交流させてもらい、僕らも楽しませてもらってますよ」

演奏する虹色のメンバーと、吉野さん

⑤ 音でつながる未来へ

吉野さんは、できれば他の地域でもライブ活動を増やして、音楽を通して多くの人につながりができて欲しいと話す。

「僕自身の音楽によって救われた身なので、音楽を通して1人でも多くの人を元気付けたいと思ってます。その中で、お客さん同士の中でもつながりができてくれたら嬉しいですね。」

これまでの目が見えなくなってからの音楽活動は、吉野さんにとって何かに導かれたようなものだったと振り返る。

「もし目が見えなくなってなければ、ギターをまたこの年になって弾いてなかっただろうと思います。周りの後押しで始めたことなのですが、やっていくうちに自分がパワーをもらっていました。僕にとっては目が見えなくなると言うことが逆境だったけれども、どんな人にも逆境は訪れるし、それを乗り越えることが自分だけでなく、周りの人も助けることにつながるのだと学ばされました。それがきっとその人に与えられた使命だと思うから、皆さんもいろんなことに挑戦して、好きなことに打ち込んで欲しいです」

ホールで演奏をする吉野さん

たとえ自分にとって困難なことであっても、乗り越えてみたいと思うようなことが、きっと自分にとっての使命なのだろう。そしてそれは、自分だけでなく、周囲の人にとっても助けになるものなのだと、吉野さんは教えてくれた。

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▼プロフィール:
1992年生まれ。福岡県博多区在住。久留米大学文学部卒業。
大学卒業後、就職せずにママチャリ日本周の旅へ。その旅をきっかけに、バイクで日本1周や、インド自転車1周も行う。旅の中で、障害や病気を抱える様々な人と関わっていくうちに、その出会いを文字にして誰かに伝えたいと思うようになる。ライター活動を日々奮闘中。

著書に「青春にママチャリを乗せて」がある。


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