2018年大阪市生野区にある聴覚支援学校に通う小学部5年の女児(当時11歳)が重機にはねられ死亡した事故を起こした運転手らに対して損害賠償を求めた裁判の判決が2023年2月27日に大阪地裁でありました。
今回の裁判では損害賠償をめぐって「逸失利益」がどのように判断されるのかが争点となっていました。
「逸失利益」とは、仮に今回であれば女児が事故に遭わなかった場合、将来得られたと考える収入の減少分のことを指します。
原告である遺族側は全労働者の平均賃金497万円をもとに算定した損害賠償額の請求を行った一方、被告である運転手側は全労働者の平均賃金の60%にとどまる聴覚障がい者の平均賃金294万円が妥当であると主張しました。大阪地裁の判決は全労働者の平均賃金の85%を用いるべきであると判断し、運転手側に支払いを命じました。
大阪地裁の判決理由として、
- 障がい者が求める配慮について、近年の法整備や支援ツールの発展などを考慮し、聴覚障がい者が働く環境や収入面の改善が見込まれる点
- 女児は周囲とも十分な交流を図る能力があり、学校では平均的な成績であったことから、将来的に様々な就労の可能性が考えられる点
- 障がい特性から就労時に周囲とのコミュニケーションが制約される可能性が考えられるとして、障がいのない労働者と同水準の逸失利益までは認めなかった点
が挙げられます。
今回の判決についてそれぞれの立場から感じたポイントを書いてみました。
「被告側の主張」
- 障がい者だから労働者全体の平均賃金の約60%が妥当だとする考え
- 被告の立場であれば被害者が「障がい者」だとしても格差のある視点で主張
「裁判所の見解」
- 合理的配慮の浸透、支援ツールの発展、社会の障がい者に対する理解を認める
- 女児の能力を考慮し将来の労働者としての活躍の幅は広いと判断
- しかしながら、障がい者であることの視点は変えず労働者全体の85%が妥当と判決
「両親から見えた差別」
- 娘の将来は労働者全体の平均賃金と同等の100%であること
- しかし大阪地裁の判断は同等ではなかった
- 司法が差別を容認した
この大阪地裁の判決が正しいか否かについての意見は別にして、私の個人的な声としては司法が出した判決について、ひとりでも多くの方が関心事として捉えてほしいと思っています。
当時11歳だった聴覚に障がいのある女の子が事故により亡くなってしまった裁判で出された判決の背景に障がい者に対する世間の考えが見えたと感じます。
被告である運転手側は自らの訴え(少しでも損害賠償額を下げたい)を通したいために、事故死させた女児が障がい者だから全労働者の平均賃金よりも低い額が逸失利益であると主張する姿勢。
大阪地裁は障がい者に対する社会の理解や障がい特性を補う技術の進歩、被害者女児の能力や将来の可能性について考慮した一方で聴覚障がい者の特性のひとつとしてみられるコミュニケーションに一定の制限があるとの見解を示し、ここでも全労働者の平均賃金よりも低い額が妥当であるとの判決は、世の中が障がい者に対して能力が劣ってしまうと安易にイメージしてしまうのではないかと危惧します。
障がい者と差別は切り離すことができない関係性があります。
また、障がい者に対する偏見や間違った思い込みも簡単に解決できないほど、多くの場面で見られます。確かに、障がい者にとってはあるシチュエーションや環境によって、できる範囲が限定的であったりひとりで乗り越えることが困難な時も少なくありません。しかしながら、周囲の理解をもとにしたサポートや協力を受けることで克服できるのも事実です。
大阪地裁は「コミュニケーションが制約される」点を挙げていました。「コミュニケーション」とは、人間関係において相互の意思疎通をスムーズに行うための能力を指します。聴覚障がい者のコミュニケーションの場面では、情報の伝達に制限が掛かってしまうことは否定できません。
しかし、情報の伝達に制限が掛かってしまうのは、聴覚障がい者とコミュニケーションを取る相手側だけではなく、情報の正確さと情報量を得られないと聴覚障がい者も感じることが多いです。
その場合、聴覚障がい者側の努力だけではどうしようもなく、環境側の問題が大きいため、社会全体の合理的配慮についての議論が必要ではないでしょうか。
また、「障がい者=健常者よりも能力が低い」と関連付けされてしまう怖さと同様に、障がい者を一括りにしている感覚を強く覚えました。障がい者の限界を周囲が決めてしまっている世の中。
障がい者自身の気持ちに反して、障がい者というだけでできないことが多いと結論づけられているように感じます。
今回の裁判で、仮に被害者女児が生きていた未来で活躍するかもしれない可能性について、どのような議論がされたのでしょうか。
今回の事故と裁判をきっかけに、どのような組織や社会であれば障がい者を含めた誰もが活躍できる職場づくりを目指すことができるのかを考えてほしいと思います。