定期的に大型書店やAmazonで障がい者に関連した書籍について探すことがあります。
一昔前と比べて障がい者をテーマにした書籍も多くなったと感じるのは、障がい者がタブーでなくなってきたこと、一括りにされがちだった障がいについて多様な特性があることの認識が深まったことも理由のひとつだと考えます。
そのようなことを考えながら書籍を探していたときに今回ご紹介する『障害者ってだれのこと?』が目に止まりました。
「◯○が不自由」「マイノリティ(少数派)」「かわいそう」「ダイバーシティ」「分からない」など、障がい者に関するイメージは様々ですが、どちらかといえばネガティブでありよく分からないことが多いのではないでしょうか。
直近であれば、2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックの開催や車椅子テニスプレイヤーの国枝慎吾さんの引退など、障がい者に関連したニュースが大きな話題として取り上げられることも多くなり、障がい者への関心ごとが深まる一方で障がい者のことを説明してくださいと言われたときに「障がい者とは◯◯です!」と明確に言い切れる方ってどの程度いるのでしょうか。
本文で取り上げられているテーマを通して、普段から何気なく使用している「障がい者」という言葉についてもう少し認識を深め、各人が置かれている環境と照らし合わせてみるとどのように感じるのかを一考させられる書籍です。
特に職場で障がい者と接する機会の多い担当者や同僚の方々には手に取っていただきたいと思います。
「障がい者」が感じる社会
障がい者が法律として定義されたのは1950年に施行された「身体障がい者福祉法」が最初です。ご存知の方も多いと思いますが、施行当時は第二次世界大戦から戻ってきた傷痍軍人の社会的な補償制度としての役割も大きくありました。その後、知的障がい者を対象とした「知的障害者福祉法」、精神障がい者を対象とした「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」が施行され、我々が当たり前のように障がい者として認識している定義は全て法律に基づいています。
しかし、本文では法律が施行された当初は障がい者に対する認識が今以上に浅いために現代では考えられないような「偏見」や「差別」がある社会では「普通」の生活すら送ることが困難と感じる時代だった当時は、障がい者が外出することを世の中が想定していないため、当たり前のように設置されている多目的トイレやエレベーターがほとんどありませんでした。
その後の社会や国民意識の変化に合わせて障がい者や支援する家族・支援者の上げる声に呼応するように社会が試行錯誤を繰り返してきた歴史の結果、今があると改めて知ることができます。一方で障がい者への認識については、現在進行形であり多様性理解が進んだ社会の実現には道半ばといった感じがします。
障がい者は「できない」ことが多いと感じている人は多いと思います。
障がい者が自分の障がい特性が原因でうまく取り組めないことや不便に感じることは日常的にあります。しかしその理由のいくつかは、ある一方の視点から形成された社会だからかもしれません。
皆さんは人生の中で「諦めた経験」をどれだけしましたか?
日常生活の色々な場面で諦める経験をする人生を想像してみてください。あまりできないかもしれません。
例えば、普段から車椅子を使用している障がい者が電車で外出をしたいと考えたとき、最寄り駅にエレベーターが設置されていないと外出が億劫になってしまい、よっぽどの理由でない限り外出を諦めてしまいます。気軽な外出すらそのように感じている障がい者は少なくありません。
また、私の経験ですが、通勤ラッシュ時の電車に車椅子の人が乗ってくるとき、顔を見るとうつむき加減の方が多いと感じます。もしかすると『申し訳ない』『こちらを見ないでほしい』といった感情からなのかもしれません。
他にも音声による火災警報器では聴覚に障がいのある人には聞こえなかったり、電車の自動改札機は腕の不自由な人にはカードをかざすことができないなど。障がいのない我々にとって便利である一方、障がい者にとっては不便なシチュエーションはたくさんあります。
障がい者が諦める行為は、これまでの経験が大きいことを考えるとマジョリティである社会の反省点のひとつだと考えます。社会の大きさは関係なくマイノリティだから声が届かなくても良いのか。
自分や大切な身内が当事者だったらと置き換えてみるとどうか。また、仮に自分の組織に諦めている仲間が存在する寂しさは計り知れないほど大きいのではないでしょうか。
「障がい者」と「差別」
もし、あなたは「障がい者差別をしている!」と言われたならば、大きなショックを受けるのではないでしょうか。「障がい者」と「差別」は切り離せないテーマのひとつです。
理想を言えば、この世から障がい者差別がなくなればいいのですが、おそらく差別をなくすことは困難ではありますが、なくすための意識を持ち、行動することが大事だと考えます。
前項でも書いたような現在の障がい者を取り巻く環境は、障がい者に対する差別に向けた声によりできた面があります。本文では障がい者の置かれた社会環境を知ることで何が「差別」になるのかを理解することができることを紹介しています。
我々が無意識のうちにとっている行為が障がい者にとって「差別」となっているかもしれません。理由のひとつは障がい者のことを認識しているかどうか。
例えば、自分が認識されていない社会で生きることを想像してほしいと思います。普段、障がい者との関わりがなくても、自分が暮らす社会に目を移したときに障がい者にとってどのような世の中になっているのかと考えることが最初だと感じます。
会社という社会の中でも同様の状況が存在するならば、見ないふりで進む組織に成長はあるのでしょうか。
障がい者雇用がうまく行かないと感じている組織では、障がい者を一括りに捉えていないだろうかと感じることがあります。そのような組織では障がい者に限らず従業員一人ひとりの声にしっかりと真摯に耳を傾けているのだろうか。仮に従業員が多くてできないというのであればそれは役割の放棄でしかありません。従業員には会社のルールに従うことを強要し、一方で従業員の声には耳を貸さないことがルールとして成立していいのだろうか。
これも障がいのないマジョリティ(多数派)の視点から形成された社会だからかもしれません。
障がい者を含めたマイノリティ(LGBTQ +、外国人、片親家庭など)を考える機会を設けてみてはどうでしょうか。従業員の声に耳を傾けることも組織を成長させる上では大切なプロセスです。
マジョリティの視点である世界からマイノリティ(少数派)を排除するのか、インクルージョンさせた発展的社会を目指すのか。
著 者:荒井裕樹(あらい・ゆうき)
1980年東京生まれ
二松學舍大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代分学。
著書に『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、
『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)、
『車椅子の横に立つ人――障がいから見つめる「生きにくさ」』(青土社)、
『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)、『凜として灯る』(現代書館)など。
2022年、第15回「(池田昌子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。
発行所:株式会社平凡社
東京都千代田区神田神保町3-29