私が人材会社に在籍し、企業向けに障がいを持つ人材の紹介事業をしていた時に担当者の方からよくこんな声を聞きました。
「障がい者であっても健常者と同じような成果を出してもらう人でないと採用しません。」
「当社は、障がい者も健常者と同じように扱います。」
言いたいことは何となく分かります。至極真っ当で毅然とした印象を受けるのですが、とても違和感がありました。
今でも、このようなことを考えている企業や担当者の方々はいらっしゃるのでしょうか。(久しぶりに聞いてみたいなぁ。なんて)
これって、非常に恥ずかしい言葉だと思います。企業として大切な2つのことを放棄していますから。 ひとつは、「マネジメントの放棄」。もうひとつは「企業成長の放棄」。
最近の企業を見ていると現場のマネジメントに力を入れていないことを感じることがあります。成果を求めることに比重を置き過ぎた弊害かもしれません。
管理職のマネジメントとは何でしょうか。「サボっているかどうかを監視すること」「目標達成ができているかどうかを確認すること」「部下の愚痴や不満を聞くこと」などでしょうか。
間違ってはいませんが、それだけではありませんよね。既定の範囲内に収まっているかどうかばかりを気にしているようで、個々のことをあまり見ていないように感じています。
管理職に求められる職場のマネジメントに必要だと思うことは、「個々の個性を掴み最大限のパフォーマンスを出すには何を準備してあげられるのかを考えて実行すること」ではないでしょうか。簡単にいかないのは分かっていますが、こういうことではないですか。
数字が得意な人材は経理に配属。人に好かれるタイプの人材は営業に配属。これって、適材適所で普通に考えられることです。日本語しか話せない従業員を英語力が必要な部署へ配属することなんて、何か別の理由がない限りは考えられない配置だと思います。
本来、従業員のパフォーマンスを最大限引き出すために、最適な部署に配置したり、そこで不足しているものがあるなら補うものを用意するのが会社だと思うのですが、今は現実に合う人材しか必要ないと言い切ってしまう企業が多いと思います。これは、明からにマネジメント放棄です。健常者の場面でも見られるのですから、障がい者であれば尚更です。
もうひとつの「企業成長の放棄」とは、会社は人で成り立っているという根本的なことを忘れている気がします。個々の個性を掴み、最大限のパフォーマンスを発揮させるためのマネジメントを放棄してしまうということは、個人の成長をストップさせてしまいます。個人の成長がなくなれば、企業はこれまでの惰性だけで進むことになりますので、いずれは企業の成長もストップしてしまいます。
「マネジメントの放棄」「企業成長の放棄」という環境で働く従業員は障がい者と働くことをどのように感じるのでしょうか。個々の個性を尊重せず、自分たちと同じことを障がい者にも求めることになるでしょう。できなかった結果として、受入れることを拒否してしまうのではないでしょうか。
障がい者を健常者と同じように扱うというのは、個性に目を向けていない企業を象徴しています。AIなど、世の中が便利になってきた分、個性を殺すのではなくて個性を生かすマネジメントができる企業が、頭一つ出る存在になるのではないでしょうか。
世の中を見た時に、理解しにくい(理解したくない?)現実があっても受け入れないと前に進めないことがあります。フィルムで有名なコダック社は、デジタルカメラを選択した世の中を直視しなかったために、生き残ることができなくなったのは有名なお話しです。
2018年の「精神障がい者の雇用義務化」施行に伴い、障がい者法定雇用率が引き上げられることにより、障がい者を企業の労働力とする考えが広がり始めてきました。ところが、いざ採用を始めると本当に採用したいと思っていた身体障がい者は競争が激しく、採用できない環境となっていました。求人の相談のためにハローワークに行くと、紹介されるのは精神障がい者や発達障がい者ばかりで、自社で雇用したいと思う障がい者には全然めぐり合うことができないという現実を突きつけられるわけです。
そんな時に出る担当者のセリフが冒頭の言葉です。
障がい者を健常者と同じに見るというのは、「給料をもらうからには働くプロとして努力してほしい。」「自分の障がいをできない言い訳にしてもらいたくない。」ということではないでしょうか。このような強い思いを持った担当者がいる企業は、障がい者の雇用でたくさんの理解をした結果、それだけの実績を多く残してきたのでしょう。
日本人の特徴なのかもしれませんが、現実を直視することを避けたいと思うことってたくさんあります。当然、私にも経験はあります。「臭いものには蓋」の原理です。
しかし、現実を受け入れて、今のポジションを理解し、戦略をたて実行した企業が山頂からの朝日を見ることができるのです。