前回は対話のコツについて話をしました。
今回は対話シリーズの最終回、「自分と向き合うこと」についてです。
向き合うことの大切さ
障がいのある人が就職する際、「自己理解ができていること」がキーポイントと採用担当の方々からよく言われたが、実際に職場で働き始めたら、「自分と向き合うこと」を何より大切にしてほしい。いわゆる自己肯定感と言われたりもするが、私はあまり難しく考えずに「自分と向き合うこと」でもいいかなぁ、と思っている。なぜならこの向き合うことだけで、健やかに働き続けることができると、たくさんのスタッフとの面談を通して実感したからだ。
「向き合う」というのは、自分を観察することから始まる
打合せ中やプレゼン中でも、ざっくばらんなおしゃべりでも、とっさに出てくる身体の反応や、顔の表情、パッと浮かんだイメージや言葉……それらを素直にそのまま自分のものとして受け入れるということ。空気を読もうと感情を抑えたり、今ある自分より大きく見せようとか、小さく見せなくちゃ、とかするのではなく、とにかくそのまま「ありのまま」を観察してみるということ。
「向き合う」ことをしなかったら?
感じたことや身体が反応したことを無視して周りに同調したり、頭だけで考えて答えをだしたりして自分に逆らい続けたら、心と身体はちぐはぐになって少しずつバランスを崩していってしまう。
ちなみに、この頭では相手を受け入れようとしているが、身体が一向に受け付けていない状態というのは、案外わかりやすかったりもする。例えば、上司の意見に納得いかないまま同調しなければならない時、いつの間にか腕組みをして話を聞いていたり、伏し目がちになっていたり、顔以外の身体の向きが逆を向いていたり、組んでいる脚が相手と反対向きになっていたり……。
そんな状態を続けたら、本当の自分の気持ちはわからなくなってしまい、気づかないうちに自分に負担が嵩んでいってしまう。だから、頭痛や腹痛など身体が不調を訴える前に、自分の反応にできるだけていねいに向き合ってあげてほしい。
自分と向き合うには……
自分の「ありのまま」がよくわからなくなった時は、私はいつも知人が教えてくれたことを実践する。それは、自分の身体の声を聴くこと。
とても簡単で、何か迷ったときに、お腹でも脚でも胸でも、身体のパーツに手をあてて気持ちの確認を取るという、ただそれだけ。
かすかな反応かもしれないけれど、何かしらの応えがかえってくるはず。
例えば、その日に残業するかしないか、自分の身体に手を当てて聴いてみる。身体と対話することで、なんとなく仕事を続けるのではなく、さっと退社して翌日にスッキリした気持ちで仕事に向かうことができたりする。
任されたプロジェクトを進める際も、頭で考えるのではなく、身体に聴く。脳だけで考えると、いろんなことを想定したりして安直な答えになりがちだが、身体に聴けば、応えはすっと素直に直感的なものになってくるはず。
そうしていくうちに自分が感じていることに気づきやすくなり、結果論ではなく、プロジェクトの進む過程にていねいに目を向けられるようになってくる。それができるようになれば、次のチャレンジも明確になり、継続的にしなやかな成長を続けることができる。
身体の反応に意識を向ける
ほんの少しでもいいから、身体の反応していることに意識を向けることが心地よい対話の近道。
イヤだなというサインを受け止め、身体が心地よいと思う方向を探してあげると、少しずつあなたの本来の「ありのまま」がよみがえってくる。自分のリズムで生きることで、自分自身を縛りつけていたものから次第に解放されていく。そうしていけば、知らないうちに相手に押し付けていた「あたりまえ」の概念もゆるゆるとほどけていく。
自分に素直になることが、相手を受け入れる第一歩になる
対話の神髄は、赤ちゃんの初語と同じなのかもしれない。赤ちゃんが初めて話す時、それは「おっぱい」や「おしっこ」のように何か要求したくて発するのではなく、驚きや喜びを相手に伝えるためにコトバを発すると言われている。
つまり対話という行為は、相手に何か要求するものではなく、互いに伝わり合う喜びなのである。自分自身と向き合い、じっくりと対話ができれば、他者とも深く対話できるようになるはず。一日のどこかに、身体に手をあてて、ていねいにあなたの声を聴くひとときをぜひつくってみてください。
シリーズ最後は、私の好きな対話についての一文で終えたい。
“平和とは、絶対的な平穏、静止、無私、静寂の状態ではなく、内面では絶えず動き思考している「動的平衡」状態なのだ。社会が平和だ、ふたりの関係が平和だという場合には、常に円滑な交流がなされており、対話が積み重ねられ、新陳代謝がうまくいっていることを意味している。”
引用/『野草の手紙』ファン・デグォン著 自然食通信社 より