『感動ポルノ』という社会の押し付けから見える障害者差別を考える

『感動ポルノ』という言葉をご存知でしょうか。最近、よく目にするようになったという印象です。おそらく、NHKが放送した「バリバラ ~障害者情報バラエティ~ 」内で取り上げられた以降だったのではないかと思います

『感動ポルノ』とは、あるものを対象として、故意に「感動する」という感情を煽るために利用すること

ここで言う『感動ポルノ』の対象は障害者となります。

ひとつ例に挙げますと、先ほどのNHKの「バリバラ」で『感動ポルノ』を取り上げた時の裏番組が日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」でした。ご存知のように、毎年イメージカラーとなる黄色を基調とした募金ブースを各地に設置し、番組内ではそれぞれ障害を持つ方たちがタレントさんと力を合わせて目標を達成させるために努力している姿を放送しています。それを観た視聴者がFAX・メールなどで応援をするという構成。40年もの間、継続している番組ですが、改めて考えると視聴者に何を訴えようとしているのか分からないんです。

家族に障害者を持つ私からすれば、努力している姿なんで他人に見てもらうようなことではないなぁという感想です。努力で言えば、障害の有無は関係ないですし。

この時に単純に思うのが、「障害者の努力する姿」→「普通ならできる事ができない」→「可哀そう」→「歯を食いしばって頑張る」→「目標達成できた!」という流れではないでしょうか。この時の「可哀そう」という感情。なぜ、「可哀そう」が生まれるのでしょう。障害がない人でも、“得意”“不得意”があります。あることに対して“不得意”な人が、「歯を食いしばって頑張った」結果、できた時にそれを見ていた周囲の感動は障害者の時と比べると同じぐらいではありません。多分、それは障害者を“自分よりも不幸な人”だと思っているからではないでしょうか。おそらくですが、故意にではないにしても心のどこかに持つ「障害者 = 可哀そう」という感情です。

私には、耳が不自由な両親がいることは、以前のコラムでもお話しをしました。子供心に「音が聞こえないって不便だろうなぁ」とは思っていましたが、可哀そうだと感じたことは一度もありませんでした。CDで好きなアーティストの音楽を聴いていた時も、母親からは「耳が聞こえて羨ましい」とは言われましたが、自分にとって耳が不自由なことが不幸なことだとは感じていなかったと思います。

これまで、たくさんの障害を持つ方たちにお会いしてきました。中には自身が障害者となってしまったことに対して、不幸に感じている方もいらっしゃったと思いますが、不幸かどうかは自分で感じるのであって他人から思われることではないなぁという感覚です。

話を元に戻して、なぜ人は障害者のことを“自分よりも不幸な人”だと思い込んでいるのでしょう。

これは、障害に対する“正しい理解”ができていないからだと思っています。

近しい存在として障害者がいない人たちにとっては、“未知なる存在”です。自分が障害を持っていなかったら、何が不便なことなのか分かりません。とにかく生きていくことが大変なんだろうなぁ。という想像しかできません。

障害がない状態(レギュラー)から逸脱した存在(イレギュラー)が想像できない時に人は、違った目で対象者を捉えようとします。その中で「障害者は苦労している可哀そうな存在」「頑張っている姿は人一倍美しい」「私たちに感動を与えてくれる存在」という存在に作り上げてしまったのだと考えます。

こういった障害者に対する周囲の幻想は、障害を持つ方たちにとって生活しにくい環境を与えてしまっています。障害者も人ですし、ズルいことや悪いことを考えている人だっています。

とても難しいと感じることがあります。それは、発言する内容が立場によって許されるものや理解されやすいものがあれば、その逆もあるということです。

例えば、健常者が障害について発言すると、時には差別と感じてしまうことがあります。でも、障害を持つ本人やそのご家族が自分と同じ障害特性に対してキツイと感じる表現をしてもどこか許せるところがあります。

これってどこにボーダーが存在するのでしょう。障害者であっても差別につながる表現であれば注意するべきところですが、健常者に対するほど強く感じないのはなぜなのでしょう。

おそらくそれは、“障害を理解しているかどうか”で変わってくると思います。

これまでの世の中を見た時に「障害者」と「差別」は切り離せない関係にあります。これは、障害者のことを特別なことだと認識し過ぎたために起こった“理解の距離”がまだまだ離れているからだと思っています。障害を持っていない人たちはそれぞれ同じではありません。個性という(個人)差があります。数字の得意な人、そうでない人。動物の好きな人、苦手な人。足の長い人、指のきれいな人、走るのが早い人、小説を書くのが上手い人。

障害がなくても困っている人がいれば、手伝ってあげる気持ちは理解できると思います。

障害も個性だと思える社会に少しずつ近づいていると思います。障害者は決して、“可哀そうな存在”でも“感動を与えるモノ”でもありません。

アメリカにあるTEDという非営利団体が、ステラ・ヤングという女性をプレゼンテーションに選びました。その方の最後の言葉はとても素晴らしいものでした。

それは、何年も前から私がそうなってほしいと思っていたことと偶然にも同じだったので驚きでした。

ABOUTこの記事をかいた人

上前 忠司 (イルネス障害者雇用総合研究所代表)

[障害者雇用コンサルタント] 企業向けに障害者雇用サポートを提供し、障害者の雇用定着に必要な環境整備・採用コーディネート、また障害者人材を活用した事業に関するアドバイスを実施。その他、船井総研とコラボした勉強会・見学会の開催やコラム執筆など、障害者雇用の普及に精力的に取り組んでいる。講演のご依頼や雇用に関する相談は、当サイトお問い合わせからお願いします。