ドラマが観られない?その原因とドラマに救われた話

突然ですが、筆者にはどうしても観ることができないテレビ番組があります。
それは、子供から大人まで老若男女の幅広い世代の人々が娯楽として観ているもので、時に泣いたり、笑ったりできるドラマティクな番組です。
さて、その正体とは…?

そう…ご推察の通り、ドラマです。
実は筆者、ほとんどのドラマを最初から最後まで通して観ることが出来ません。
観るとしても、最初と最後だけ知ることができれば満足することも少なくありません。

では何故、ドラマを観ることができないのでしょうか。さらに、「最初から最後まで通して観ることが出来ない」とはどういうことでしょうか。そして、「ドラマに救われた」とは?

今回はいつものコラムから、少しテイストを変え、ドラマを観ることが出来ないという、ちょっと変わった出来事について考えてみたいと思います。

そもそも、ドラマが観られないとは?

ドラマとは、言わずと知れた演劇の一つであり、芸術作品です。そして、芸術作品であるだけでなく、出演されている役者さんの演技力や、様々な立場の人々の技術と努力の結晶でもあります。
ドラマは人に感動を与えるものですし、実際、筆者自身もドラマを観て涙した経験もあります。

それでもほんの一部を除き、筆者はドラマを観ることができません。
この傾向は昔からで、アンパンマンはジャムおじさんが出てくるシーン以降しか観ていませんでしたし、仮面ライダーはそもそも観ることを拒んでいました。
また、道徳の時間に流れていたビデオ教材を観ることがとにかく苦痛で、毎回苦汁を飲む思いをしていました。
他にも、バラエティ番組など娯楽要素が強い番組で再現VTRとしてドラマパートが流れることがありますが、その時だけ目を瞑り、耳を塞ぐこともしばしばあります。

とにかくドラマが流れ出すと、気が気でないのです。

一方、少ないながら安心して観られるドラマもあります。
それは、sitcom (situation comedy) と呼ばれるアメリカのコメディードラマです。
”HOW I MET YOUR MOTHER” や”2 Broke Girls”、”THE BIG BANG THERORY” など、どんなシーンでも分かりやすい笑いがあり、必ず明るくなるのが特徴のドラマです。

ではなぜ、sitcomなら安心して観られるのでしょうか。
まず、アメリカのドラマであるが故、人種や言語の違いが影響していることが考えられます。しかし、sitcom以外のアメリカのドラマも、日本のドラマと同様に観ることができませんので、その影響ではないでしょう。

では何が影響を及ぼしているのか。
ここで、筆者のドラマの視聴方法をもう一度振り返ってみましょう。
そう、「最初から最後まで通して観ることが出来ない」という点です。

なぜ始めと終わりだけしか観られないのか?


ドラマの多くは、起承転結で構成されています。導入部分があり(起)、何か出来事が起こり(承)、急展開で事態が動き(転)、結論へと進みます(結)。

さて、筆者は最初と最後だけは観ることができますが、これは起承転結に当てはめると、「起」と「結」の部分にあたります。
つまり、「承」と「転」の部分が観られないのです。

では、「承」や「点」にはどの様な出来事が描かれることが多いのでしょうか。
それは物語のアクセントとなる様な出来事で、トラブルや叱責、喧嘩・恋の駆け引きなどなど。
これらに共通することは、「不穏な空気」を醸し出す、ということです。
つまり、筆者は不穏な空気にストレスを感じるということです。

では、なぜ不穏な空気にストレスを感じるのでしょう。
筆者自身の経験上ではありますが、不穏な空気に包まれる場面に多く遭遇しているからではないかと考えています。
以前の記事で、失敗し易いが故に、周りからの叱責を受けやすかったというエピソードをご紹介しました。子供であっても、大人であっても、叱責を受けるシーンは必ず不穏な空気に包まれます。そのため、叱責を受ける回数が多ければ、それだけ不穏な空気に包まれる機会も多くなります。特に、筆者が幼い頃は「普通」であることが強く求められた時代でしたので、他の人より習熟が遅く自分自身への理解が進んでいなかった筆者は、ほぼ毎日の様に、叱責やトラブルなどに遭っていたと記憶しています。

つまり、毎日の如く不穏な空気に包まれているため、不穏な空気を感じると身構えてしまい、娯楽の要素が無くなるため、まるで滝行の様に耐え忍ぶ様にしかドラマを観ることができないのです。

それを示唆する様に、筆者が観られる数少ないドラマ、sitcomには不穏な空気がほとんどありません。ドラマが観られないという、ちょっと不思議なお話は、日々、不穏な空気に苛まれていた経験が背景に隠れていました。

ドラマに救われた日


では、どうすれば不穏な空気に極度に身構えずになるのでしょうか。
それはズバリ、「自信を持つ」こと。
自信があると、不穏な空気に対しても余裕が生まれ、過度に身構えなくなります。

自分で「これだ!」と思ったことを突き詰めてみてください。
もちろん、自信が付く事がすぐに見つかるとは限りません。様々な事柄に挑戦し、自分自身の興味関心事を見出し、努力していきましょう。

そして、自信を付ける上で大事なポイントがあります。
それは「評価してくれる人」を見つける事です。
人は承認欲求を満たしながら成長してきいます。承認欲求を満たすためには、評価されることが必要です。

実は筆者、最初からこの事に気づいていた訳ではありません。

幼い頃より、周囲から評価されることが無かった筆者は、承認欲求が満たされることは無く、常に自信がないまま、小中と過ぎ、高校生になりました。
今振り返ると、適切な評価を受けていかなったことが原因でしたが、その状態が当たり前であったため、なかなかその実態に気付けていなかったのです。

そんなある日、テレビをザッピングしていたら、あるドラマのワンシーンが映りました。
何やら重要なシーンの様で、主人公が、努力の芽が出ない部下に向け、何やら言葉をかけています。

筆者が見入った次の瞬間、主人公はこう言いました。
「お前は一番だ。誰よりも努力しているじゃないか。今の趣味だって、最初から上手くいってたわけではないだろう。それと同じさ。お前はただ不器用なだけなんだよ。」

たまたま映ったワンシーンに放たれた言葉の前に、筆者は呆然としました。

それまで、筆者はどんなに習熟度が遅くとも、必死の努力で食らいついてきましたが、その努力は誰からも認められてきませんでした。物心ついて以降、自信のない日々を過ごしていた筆者は、生まれて初めてその努力が認められた気持ちになりました。
その瞬間、溢れんばかりの涙に堪えきれず、その日は号泣に伏しました。

それ以降、筆者はその言葉に自身を奮い立たせ、少しずつ自信を付けていくことが出来たのです。
評価してくれる人はすぐに見つからないかもしれません。
しかし、いつ誰の言葉でその努力が報われる日が来るか分かりません。

繰り返しになりますが、筆者はほとんどのドラマが観られません。
それでも、あの日見たドラマのワンシーンは、確かに筆者日常を変えました
歩み続ければ必ず報われる。
そんなことに気付かされた様な気がしました。

ドラマが観られない人物が、ドラマに救われたお話。
そんな、ちょっと不思議なお話でした。

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▼プロフィール:
大人になってから、ADHD(注意欠陥多動性障がい)とASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けました。永らく、自身の特性から低い自己肯定感に悩まされていましたが、留学を通じて自己肯定感を高め、少しずつ様々なことにチャレンジしています。