衝動性(多動性)が強いなりに「継続する」ということ

新型コロナウイルス感染症の影響により、家にいる時間が増えました。遠出を控えるなど、生活に制限が掛かっていますが、その一方で、今だからこそ、何かに打ち込もうと意気込む方もいらっしゃるでしょう。

筆者も時間があれば何かに打ち込もうとしますが、衝動性(多動性)が強いため理想通りに続けることができず、三日坊主の様な形になることが多々あります。しかし、そんな状況でも筆者なりに継続することで、多くの成果を挙げてきました。
今回はそんな多動性が強い筆者なりの「継続すること」についてご紹介します。

「継続は力なり。」されど「継続」とは?

何かを成し遂げようとする時、誰しも努力を重ねます。どんな人であれ、魔法の様にいきなり結果を出すことは出来ず、それなりの努力を重ねます。
その努力を重ねる上で、大切な物があります。それは「物事を続けること」、つまり「継続すること」です。例えば、掛け算の九九を初めから覚えている人はいません。誰しも、継続して使うことで覚えていきます。では、その期間はどれほどを要するでしょうか。数日程度で覚える人もいれば、数週間や数ヶ月かけて覚える人もいるでしょう。
しかし、いずれのケースにしても、「覚える努力を続けていること」に違いはありません。つまり、「継続すること」で力は付くものの、その期間は人によって異なるということなのです。

三日坊主か水滴石穿か

「好きこそ物の上手なれ」と言います。では、興味関心事であれば、人は持続的に取り組めるのでしょうか。人によって様々ではありますが、筆者は持続的に取り組むことがなかなかできません。それは、多動性が強いが故、同じことを同じ様に繰り返すと飽きてしまうためです。

筆者の趣味は語学学習ですが、その趣味ですら没頭できる時と没頭できない時がハッキリしています。例えば、最初の一週間は語学学習にのめり込む→翌週以降、学習量が少なる→その一ヵ月後、再び学習量が増大する… この様に、作業量が一定にならないことが頻繁に起こります。
没頭している時が短いため、一見すると三日坊主の様ですが、長い目で見れば継続しています。つまり、一つ一つの取り組み自体にムラがあろうとも、時間をかけることで「水滴石を穿つ」が如く、成果を出すことができるのです。

自己理解を深め、自己認識することが継続への第一歩


しかし、頭では理解していても、心の奥底では「やはり半年や一年である程度成果を上げるには、同じことを同じ様に毎日継続する必要があるだろう」と考える方も少ないでしょう。筆者自身もその様にすべきと考えており、現在でもその想いを抱き続けています。しかし、多動性が強いと先述の通り、同じことを同じ様に続けること自体が難しいのです。
ところが、頭ではその重要性を十分に理解していますので、実行できない自分に対して、強い焦燥感と自責の念を覚えます。そのため、かつての筆者は、物事の取り組み始めたら最初から毎日、一定以上の作業量を科し、自分自身に強いプレッシャーをかけていました。しかし、それが故にストレスで体調を崩し、そもそも継続すらままならない状態となる事もしばしばありました。

その中で、筆者は自己理解と自己認識を深め、筆者なりの継続方法を見出し、自身に対する過度な要求がなくなっていきました。そんな筆者が、自身の考えを変える一つのきっかけとなった出来事についてご紹介します。

それは、以前、旅行で台湾のある街を訪れた時のこと。
髪を切ろうと床屋を探していましたら、カットとシャンプーで1,000円程の店を見つけ、足を踏み入れました。

ところが当時、中国語を殆ど解していなかった筆者。それ故に、英語でやり取りを行いましたが、どうやら英語を話す筆者を外国人のカモだと思ったのでしょう。店員に言われるがまま、頭皮マッサージ付きの高いコースを選ばされ、想定よりも倍以上の料金を支払う羽目になりました。
当初は旅行ならではの体験が出来たと肯定的な気持ちでしたが、やはり自身の語学力の乏しさを悔やむ気持ちが大きくなり、失意のまま帰国の途に着きます。その後、筆者は中国語の勉強を続けましたが、自身の特性を考慮し、敢えて学習ペースは変えませんでした。時には語学学習アプリで集中的に学習することもありましたが、気が乗らない時は中国語のニュースに触れたり、気になった言葉を調べる程度とし、無理に学習量を一定にしようとはしませんでした。

それから一年後、再び同じ街を訪れる機会があり、更になんと同じ店で髪を切る機会が訪れます。今度はカタコトの中国語を交えながら、カットとシャンプーをお願いします。すると、今度は何の断りもなく、前回同様、高いコースで作業を進められそうになります。そこですかさず、中国語で「そんなの頼んでない。こちらが頼んだのはカットとシャンプーだけだ。」と咄嗟に文句を言い、店長と交渉した結果、最終的に筆者の希望通りとなりました。簡単な内容ではありましたが、中国語で文句を言い、相手と交渉できたという成果が得られました。
これにより、筆者は自分なりの継続方法について、その実効性を再認識することになりました。

筆者の様に、例え、同じことを同じ様に続けられなくとも、多動性が強いなりに、変動幅のある続け方があります。そして、その積み重ねでも成果は上がります。
この一見、イレギュラーな方法を実行するには、自己理解と自己認識が不可欠です。何故なら、その変動幅は経験則から導き出されるため。様々な経験を通じることで、自身の継続方法を見出すことができます。そのため、自己理解と自己認識への取り組みが継続への重要な第一歩と言っても良いでしょう。

「継続」の方法は一つではない


何かを継続するというと、毎日であったり、一週間に一回など、短い連続性を持った行動や規則性の高い行動を思い浮かべると思いますが、それらを伴わずとも、継続することはできます。筆者の様に多動性が強いが故に、ある時は一気に進め、ある時は程々にしか手をつけないなど、一見ムラのある行動でも、振り返ると一つの行動が継続出来ています。例え、得られる成果が小さいものであろうとも、それをきっかけに向上心が高まり、より大きな成果を得ることも出来るようになります。続かないと思っていても、過去を振りかってみると、実はコツコツと継続できているかもしれません。

今回は多動性が強いなりに「継続する」ということについてお話しました。
多動性の大小に関わらず、継続の仕方は人それぞれです。毎日決まった量をこなそうと、毎日の処理量にムラがあろうと、継続していることに変わりはありません。自分なりの継続方法を探る為にも、まずは自己理解と自己認識を深めることから始めてみましょう。

ABOUTこの記事をかいた人

野添 浩一郎 (阪和興業株式会社 大阪本社 人事部厚生課)

1989年生まれ。2015年末、ADHD(注意欠陥多動性障がい)と ASD(自閉症スペクトラム)の診断を受ける。その後、LD(学習障害)の特性がある事も判明する。それまで自身を健常者と見做して生活してきたが、生活の様々な場面で支障を来しており、それ以降、自身の障がい・特性を認めた上で活かすようになった。永らく、自身の特性から低い自己肯定感に苛まれていたが、大学院時代に知り合った留学生たちと、留学先の米国で自己肯定感を高めることになる。2016年末より現職。