以前にミルマガジンのコラムでもご紹介しましたが、私は昔から養蜂に興味があり、念願だった実践の研修・ボランティアに昨年から参加して1年が過ぎました。
小さなころから生き物や自然が好きで、小学生時代には夏休みになると親父の田舎があった三重県の親戚宅へよく遊びに行きました。そこは周囲を山や川に囲まれた中でしたから、山ではカブト虫を採り、田んぼではカエルを捕まえ、川に行くとおじさんが捕まえたアユを食べて、と大自然を体感しまくりました。
都会に住んでいましたが、自然や山は私のとっては近い存在でした。今でもキャンプや釣りに行ったときなど、自然に身を置いたときにはワクワクした気持ちになるぐらいで、生き物や自然に対する興味や関心は今でも強いと感じます。
そのような経験をベースに、昨年の新型コロナウイルスで新しいことを始めたいという気持ちが合わさったかたちで養蜂に関わるようになりました。当然のことですが、養蜂もやってみると知らないことが多く、実際に教えてもらうことや自分で調べながら知識と経験を重ねていくことができます。どのようなことでも興味や関心を持つことから自発性ある行動につながっていきます。
東京パラリンピックの開催
2021年の夏。日本では57年振りに東京オリンピック・パラリンピック両大会が開催されました。世界中がコロナ禍にある中での開催には賛否ありましたが、素晴らしい大会だったと感じています。
大会開催前から目にする機会が増えていましたが、パラアスリートや障がい者(主に身体)が起用されるCMや広告が多くなったように感じます。(東京海上日動、住友不動産、日本生命)
少なくとも、これまでよりも「障がい者」の存在を感じる機会が増えたのは、東京パラリンピックの開催がきっかけのひとつだったのではないかと考えています。
普段の生活から得られる情報の中で「障がい者」が取り上げられることは、少しずつですが今まで関わることがなかった人にも認識され、関心事のひとつとしてもらえる機会になると思っています。
私は両親が聴覚障がい者でしたので、一番身近なところに障がい者がいました。そのため、おそらく障がい者に対しての感覚や向き合い方は少し他の人と違うかもしれないと思っています。身内や親しい友人など、近いところに障がい者が“いる人”と“いない人”では理解や関心の度合いに大きな差が生まれますので、仮に私の身内が障がい者でなかったとしたら、別の形で関わりを持つといったきっかけがないと、今と同程度の理解はなかったかもしれません。
障がい者との関わり
私が自分の親以外で生まれて初めて障がい者と関わったのはいつだったのか。過去を振り返ってみると一番古いところでは小学校時代でした。
私は当時住んでいた地域にある公立小学校に通っていたのですが、クラスメートのひとりに知的障がい者のSくんがいました。確か重度に近い障がいの程度だったと思います。当時、その学校には養護学級の教室がありましたが、S君は授業以外の時間はなるべく私たちの教室で一緒に過ごすことが多く、給食も机を並べて食べていたのを覚えています。遠足や運動会などの行事の時はクラスで手分けしながらSくんと手をつないで歩いたりリュックを運んでいました。また、同級生の間にも多少の上下関係みたいなものがあり、いじめなどではありませんでしたが力の強い子はクラスで目立つ存在でした。
そういった子たちでもSくんと接するときの態度は優しく守っているようにも見え、当時はそれが当たり前の光景だったように感じます。
その後、中学校に進学するタイミングでSくんは私たちの前からいなくなりましたが、今でいうところの特別支援学校に移ったんだと思います。
私が育った地域性も多少の影響があったと思いますが、その中学校では私の学年だけでなく学校全体を見ても障がいのある生徒はひとりもいなかったように記憶しています。
私の小学生・中学生の時代から少しは変化したのかもしれませんが、障がいの“ある子ども”と“ない子ども”が離れてそれぞれの環境に身を置くことになるのは、小学生から中学生に進学するタイミングが多いと思います。日本の教育現場の多くは、中学生をひとつの基準として学力面・体力面を考慮した判断のもと、別々の環境で成長をさせるようになっています。
学生時代は「社会に出るための準備期間」でもあります。障がい者と関わる機会が少なかった人が、、社会人になったある日、障がい者が同僚や部下としてくることになった場合“戸惑い”“不安”“怖い”といった感情を持つのも不思議ではないはずです。
今後も法律が変わり、法定雇用率のポイントも増えていくことが予想される中、企業は雇用義務としての社会的責任を増々求められます。組織による障がい者を含めた多様性理解は、継続性ある人材活用の実現には欠かせない部分ですが、その内容は複雑さを増しています。今後超えるハードルは決して低くないです。
また国や行政機関は、企業に対して義務を課すのであれば、未来を見越した更なる多様性理解実現を浸透させるための社会づくりと教育の実施につながる活動を考えてほしいと強く感じました。