障がい者は感情的になりすぎ? それ論点のすり替えです。トーン・ポリシング(話し方の取り締まり)をすべきでない理由

米国で2015年に発表されたウェブ漫画「No, We Won’t Calm Down-Tone Policing Is Just Another Way to Protect Privilege」が、「『冷静に』なんてなりません! Tone Policing(話し方を取り締まること)は特権擁護の手段の一つです」というタイトルで2017年に日本語に翻訳されてnoteで紹介され、それ以来ネット上で広まっていたのを知りました。それが強いインパクトでした。
https://note.com/erinadinfinitum/n/nbe3646e6835b?magazine_key=mec03d3b17453
この漫画には「トーン・ポリシング」(Tone Policing)という言葉が出てきます。

トーン・ポリシングは、「話し方警察」「話し方の取り締まり」と訳されます。何かについて問題提起した相手に対し、問題提起した内容を見るのではなく、問題提起した人の話し方を批判するということです。

たとえば、思いきりぶつかられた人が「おい、謝れ!」と叫びました。すると、ぶつかってきた人または近くにいる人が「そんな言い方は乱暴だ、もっと丁寧に言うべきだ」と言いました。これをどう見ますか?

「『冷静に』なんてなりません!」は、米国でマイノリティ(女性、非白人、LGBT、障がい者など)の差別について、差別をする方が悪いのではなく、差別を訴えた方が「ヒステリックで攻撃的」というラベルを貼られ抑圧されてきた、ということを描いています。

筆者はこれを読み終わった後、「トーン・ポリシングは、日本の障害者雇用の現状でもしばしば見られるな」と思いました。
そのことに気付きを促すため、書くことにしました。

障がい者とのコミュニケーションに潜む問題

さて、障がい者とのコミュニケーションがうまくいかなくなることからのトラブルが増えています。特に精神障がい者や発達障がい者とのトラブルが目立ちます。また身体障がい者にも精神障がいを併発するケースは珍しくなく、身体障がい者とのトラブルも軽視してはいけません。

あるハローワークの障害者雇用相談窓口でのやりとりです。

相談者「会社で上司から『うつ病なんか甘えだ』と言われている。それを誰もおかしいと言わない。数合わせしか考えていない会社は精神障がい者の声を聞く気すらない
相談員「そうですね。それが残念なことだということはわかりますよ。ですが、あなたがそうやって怒りの感情を表に出すことで、精神障がいの人を採用しようという企業が減ってしまわないでしょうか? 相手に話を聞いてもらう、もっと丁寧なやり方があるはずですよ」

このやりとりでは、相談員が、相談者の提起した「うつ病や精神障がい者への無理解」という問題そのものではなく、問題に対して相談者が怒りを示したことが悪いとすることで、やりとりをストップさせています。

またこちらは、ある企業でトラブルが起きた時に出てくる担当者の言葉です。

「発達障がいのAさんはいつも怒ってばかりで、真剣に相手してられないよ」
「あなたは働きたいと言いながら、私と落ち着いて会話する気がないように感じます」
「あなたの症状が治って冷静になるまで、とても建設的な会話なんてできませんね」
「発達障がいの人がいじめに遭いやすいのは知っているけど、あなたはそんなことまで『いじめ』だと言って、もう自分を客観視できなくなっていないかな?

ここでは、トラブルを解決するための対話がどう行われるべきかを、企業本位で、当事者の声や専門家の助言を聞かずに決めているのです。

「トーン・ポリシング」とは、こうしたやりとりを指すのです。

トーン・ポリシングとその悪影響

トーン・ポリシングは、障がい者を雇用する企業だけでなく、支援施設でも、学校でも、家庭でも起こりえます。

例えば以下のような発言。
「あなたが大げさに怒るから、会話を続けられない」
「あなたが過激な団体のようなふるまいをしなければ支援できそうなんですがね」
社会人としての会話ができるように落ち着きましょうよ」
「あなたのような、怒ってばかりでない発達障がい者に会うのは珍しいですね」

障がい者の声が無視されるのは、障がい者の話し方が問題だからでしょうか?
障がい者が訓練機関で「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」「アンガーマネジメント(怒りのコントロール)」などをして、冷静な言い方をするようになれば、話を聞いてもらえるようになるのでしょうか?

答えは「そうでないことも多い」です。
特に障がい者がハラスメント被害に声を上げると、障がい者がどんな言い方をしても「感情的」「被害妄想」というレッテルを貼られることが見られます。

トーン・ポリシングが可能にすることは、障がい者(特に精神障がい者や発達障がい者、知的障がい者)を過度に感情のコントロールができず社会性がないという間違ったステレオタイプにはめることで、聞き手にとって都合の悪い方向へ進んでいた会話の主導権を聞き手が取り戻すこと。意識的であろうとなかろうと、力関係で強い立場にいる側が差別や抑圧や排除をしたのではないかという罪悪感に晒されたことから逃れ、「差別や抑圧や排除はなかったことにする」ことです。

障害者差別解消法は、障がいのある人から行政機関などや民間事業者に対して、「社会的障壁を取り除くために何らかの対応が必要」という意思が伝えられた時に、双方の建設的対話により負担が重すぎない範囲で必要かつ合理的な対応をすること(事業者については対応に努めること)を求めています。
建設的対話は共生社会を開く鍵となる大切な考えです。しかしトーン・ポリシングはそれを骨抜きにしてしまいます。
なぜ、障がいのある側に対して「何が建設的」なのかを一方的に決めるのでしょうか。
なぜ、障がいのある側には「冷静になれ」と言う一方で、冷静でない激しい言葉で伝えているのでしょうか。
そしてなぜ、障がいのある側がそれらは「本人のため」だと思って感謝しなければならないのでしょうか。

障がい者が何かを訴えてきた時には、トーン・ポリシングをすべきではありません。理由は、それ自体が配慮や理解のない態度であること、差別や偏見を助長することからです。

トーン・ポリシングによる論点のすり替えで、「障がい者が『言い方が悪かった』と反省する」と企業と障がい者の間で合意され、沈静化することがあるかもしれません。しかしそこから企業が得られるものは何でしょうか。
差別や抑圧や排除をしてまで上げなければならない企業の利益とは一体、何でしょうか。

トーン・ポリシングは、職場に以下のような悪影響をもたらします。

  • 心理的安全性の低下

社員誰もがどんなことを発言しても非難されることがなく、あるがままの自分を安心してさらけ出せる、と感じられるような場の雰囲気でなくなる。

  • 学習性無力感

社員が「この会社では何を言っても無駄だ」と学習してしまう。学習性無力感を覚えた社員は、自分へのハラスメントを我慢するだけでなく、他人がハラスメントを受けているのも見て見ぬふりするようになる。

  • さらなる人間関係の軋轢

まれにだが、トーン・ポリシングに対してますます怒りを募らせ、トーン・ポリシングをする側に争いを仕掛ける人もいる。さらには訴訟や内部告発につながることもありえる。

  • 離職者の増加

優秀な人材ほど黙って会社を去る。

  • 生産性の低下

当然、パフォーマンスにも悪影響となる。

真の問題を直視する

近年、ダイバーシティ(多様性)に積極的な企業では、「アンコンシャス・バイアス」(無意識の偏見)について学ぶ研修が行われています。差別や抑圧や排除は、悪気はなくても起きることです。トーン・ポリシングはまさに無意識に行われる差別や抑圧や排除のひとです。

トーン・ポリシングについて知ると、障がい者とのコミュニケーションに潜む問題に気付けます。
障がい者(特に精神障がい者や発達障がい者、知的障がい者)の発言が批判されているのを見かけた時には、トーン・ポリシングによって真の問題がうやむやにされていないか、注意深く見極める人が増える必要があると考えました。
無意識の偏見は根深いもので、意識してなくそうとする人が増えていかなければ、なかなか障がい理解は進まないと感じます。

一方で、一人の障がい者の言い分に、周囲が無条件に従い周囲だけに一方的な犠牲を強いる考え方では、長続きしないことも事実です。障がい者の言い分について何か言いたい場合には、どうしたらいいでしょうか。
適切な指摘をするのは、慣れればそこまで難しくありません。
あなたがその人の言っていることを日頃から真剣に聞くこと、その人がなぜそう言っているのかを理解すること。そして「こういう表現は一方的な決めつけだから使うべきでない」とそれはそれとして指摘した上で、「その問題の解決のためにこう伝えてみよう」と一緒になって積極的に考えることです。わかりやすい表現で伝えることです。
その人がつながっている転職エージェントや就労支援機関、ハローワークに相談すれば、より良い助言を得られることがあります。

もう「これは差別ではない」「これはアウトで、これはセーフ」と言える時代ではありません。ハラスメントは受けた側が嫌だと感じた時点でアウトです。

障がい者の怒り、悲しみ、フラストレーション、恐怖は、今まさに障害者雇用において取り組むべき問題の中心です。
障がい者も好きで怒りをぶちまけているのではないのです。その人の怒りのトリガーとなっている、差別や抑圧や排除が起きている構造こそが取り除かれるべきではないでしょうか。そのために、怒りを示したり、現状を訴えたりすることは、それほど非難されるようなことでしょうか。そうすることなしにその問題に注目を集めることがこれまでにもできたでしょうか。

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▼プロフィール:
神戸市生まれ、都内在住。翻訳者・ライター。大学在学中に広汎性発達障がいの診断を受ける。発達障がいにより人間関係に困難さを抱えた経験を経て、ダイバーシティ&インクルージョンの進んだ外資系企業で新たな経験をする。障がい者が活躍できる社会を願い、当事者・社会双方に向けたメッセージを発信したり、相互理解とつながりを広める活動を行う。

NPO法人「施無畏」で、障がいのある女性向けフリーペーパー「ココライフ女子部」の制作や、障がい者に関する調査に関わる。ミルマガジンでは海外の障がい者雇用事情をリサーチ・翻訳・分析した記事を執筆する。

ブログ「艶やかに派手やかに」
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LinkedIn(Yuko Hasegawa)
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▼執筆メディア
障がい・難病の女性向け季刊フリーペーパー「CoCo-Life☆女子部」
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障がい者調査シンクタンク「CoCo-Life調査部」
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