完璧主義と失敗。相反する状態が及ぼす負の影響と、その乗り越え方(後編)

前回、完璧主義者にも関わらず失敗しやすいという相反する状況に苦しんでいた筆者が、自分を評価できるようになったことで脱却することができたということをお話しました。

完璧主義と失敗。相反する状態が及ぼす負の影響と、その乗り越え方(前編)

2021.03.25

今回は具体的にどのように自身の考え方を変え、自分を評価できるようになったのか、ご紹介します。

自分の考え方はどうやって身についたのか?

物事の考え方は人それぞれであり、その人の性格や、育ってきた環境などが色濃く反映されます。性格は先天的な要因、つまりこの世に生まれる前に決まってしまう遺伝的な要因に依るところが大きいので、少し変えることは容易であっても、劇的に大きく変えることは難しいです。
その一方で、育ってきた環境は後天的なもの、つまり生まれた後の経験に依る部分が大きく、ある程度変えていくことが可能です。
つまり、物事の考え方のうち、育ってきた環境により習慣付いた部分を変えて行けば良いのです。

筆者の場合、完璧主義という考え方は家庭や学校教育の影響により形成されたものでした。
日本では減点主義が多く見られ、100点満点のテストが有れば、例え80点取れても、残りの20点が取れなかった事に主眼が置かれ、取得できた80点については、ほとんど評価されません。100点こそが目指すべき姿で、それ以外は評価に値しないのです。そしてこれは様々な場面で見られます。
満点という分かりやすい水準が無くとも、何かの基準に達していなかったり、失敗があると、それまで達成してきたことについては評価されず、未達の部分や失敗内容にフォーカスが向くということが少なくありません。
自身の様々な特性により失敗しやすい筆者は他者に比べ、より評価が受けづらかったことは容易に想像できるでしょう。それでも評価されることを望み、言われた通り常に100点を目指すでしょうし、その考え方はやがて完璧主義になるのも自然の流れでした。

つまり、完璧主義という考え方は、周囲の考え方と自分の性格が生み出した考え方だったのです。

ターニングポイント①「自分が勝負出来ると思った環境でとことん勝負する」


筆者は物心ついた頃より、一つの夢を描いていました。それは、自身の名を歴史に残すこと。
なんとも壮大な話ですが、歴史に名を残すにはそれなりの功績を残さねばなりません。そこで筆者は科学者となり、業績を挙げることでそれを果たそうと考えました。
なぜ科学者だったのか、詳しいことは分かりませんが、周囲に医薬業界に勤める人達もいて、関心を持ちやすかったのでしょう。
今振り返るとなんとも不思議な話ですが、本当にそう思っていたのです。

それからおよそ20年後。
筆者は大学院にて分子生物系のラボへ加入し、念願の研究生活へと突入しました。これで自分が勝負できる環境が整いました。

さて、いざ蓋を開けてみると、ご推察の通り、様々なトラブルを引き起こしました。

  • 手順を事前に記しても、先々のことが想像できないので、実際に手を動かすと想定外のトラブルが頻発し、実験が失敗する
  • 相手の発言のそのまま受け取ってしまうため、会話が全く噛み合わない
  • 数値を読み間違えたり、見間違える
  • 報告時にその瞬間だけ大事なことが頭から出て来ず、再度確認することになる
  • 手の力加減が上手く制御できず、実験器具を壊しかける

この他にも枚挙に暇が無いほど、徹底的に失敗を繰り返しました。その都度、対策、対応を施しますが防ぐことはできませんでした。

上記を見ると、発達障がいの特性が色濃く出ていますね。実は研究生活を始める前、「自分は発達障がいではないか?」と薄々気づいていましたが、この時の体験が自分を発達障がいの検査へと推し進めたのです。
結果、発達障がいであることが分かりましたが、ここまで徹底的にやり切ったことにより、結果をスッと受け入れられたことは今でも覚えています。

なお、研究業界には発達障がい者ではないかと思われる人達はごまんといます。その中で成功している人達も沢山いますので、発達障がいだから研究に向いていなかった訳ではありません。ただ単に、筆者の特性が向いていなかったのです。
しかし、憧れに憧れた職場で徹底的に挑戦したことで、自身に向き合うことができました。

ターニングポイント②「まったく異なる文化圏に触れる」


また、筆者は言語に強い興味を抱いており、幼い頃から英語にも強い興味を抱いていました。
「ネイティブスピーカーの様に流暢に話す。」その気概で何度もCDを真似て練習を重ねていたものです。ところが、想像できないものを認識することができないが故、英語の文法をすぐに理解することが出来ず、試験の点数は驚くほど芳しくありませんでした。いわゆる「魔の二学期」で、三人称単数の活用が出てきたあたりから英語文法について世界観が分からなくなり、そこからどん底の毎日でした。
さらに、日本の英語教育との相性が壊滅的に悪く、各種文法用語を延々と並べられても、その世界観すらほとんど分かりませんでした。
それでも結果を出すため、勉強に勤しみましたが、なかなか結果は出ません。
そんなある時、今でも忘れませんが、高校の英語教師から、「お前、もしかして英語苦手なのか?」と言われた時には、自身の努力を全て否定されたようで、さすがにカチンと来ました。
結局、英語は自力で一から勉強し直し、自分で文法の説明が出来るくらいまでになり、TOEICでも600代のスコアが取れる様になってきました。

しかし、それでも尚、「自分は本当にネイティブスピーカーの様に話すことが出来るのだろうか」と悩み続けていました。
この悩みは、異なる文化圏と触れることで解決していきました。

まず、筆者が在籍していた研究室には多くの留学生がおり、必然的に彼らとのやり取りは英語になりますし、ラボでの回覧や連絡には必ず、英訳を付ける必要がありました。この環境のおかげで、色々鍛えられ、不安は徐々に埋まっていきました。
そして、クライマックスは米国に短期留学したことでした。僅か1ヶ月ほどの期間でしたが、筆者が今まで積み重ねてきた言語学習が実を結びます。
まず、三人称単数の活用で躓き、テストで壊滅的な点数ばかり採っていた筆者が、アメリカ人と不自由なく言葉やチャットを交わして生活できたということ。
そして、自分が心掛けてきた発音が驚くほど認められたことです。流石にネイティブスピーカーの様な発音ではありませんでしたが、発音の授業を受け持っていた講師から、「日本人特有の発音のクセがなく、綺麗に発音出来ている」と言って頂いた時は涙が溢れそうでした。
アメリカは日本と異なり、加点主義であることも手伝い、ようやく自身の成果を評価してもらえたことで、筆者は初めて自己肯定感を感じることができたのです。

この出来事は筆者に適度な自尊心を持たせ、自己を認めることができるようになり、完璧主義と決別する決定打にもなりました。

自分と向き合い、自己肯定感を高めることで自分を変える


以上の様に、筆者は自身の勝負どころで万事を尽くし、自己肯定感を高めたことで、完璧主義を脱することができました。
「万事を尽くす」というところが完璧主義らしいですが、完璧主義だからこそ成し得たことだったと思います。ただ、万事を尽くすと言っても、無制限に時間を設けると抜け出せませんので、必ず期限を決めた上で臨んだ方が良いでしょう。

また、日本では減点主義が取られることが少なくないため、加点主義の文化がある人達と交流を持つことが自己肯定感を高めるきっかけになるでしょう。身の周りにいなくとも、今はネットで交流することができますので、SNSを活用したり、自治体やNPOの活動を足掛かりにして交流を深めても良いでしょう。

自身の考え方を少しずつ変えていくことは可能です。皆さんもそれぞれに合った方法を見つけてみてください。

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▼プロフィール:
大人になってから、ADHD(注意欠陥多動性障がい)とASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けました。永らく、自身の特性から低い自己肯定感に悩まされていましたが、留学を通じて自己肯定感を高め、少しずつ様々なことにチャレンジしています。