完璧主義と失敗。相反する状態が及ぼす負の影響と、その乗り越え方(前編)

完璧主義と失敗

「生真面目な性格」と聞くと、何事にも真面目そうな印象を持ちます。
では、「生真面目な性格で完璧主義者」となると、どうでしょう。何事にも実直な上、何事にも厳しそうな印象です。

では、そんな「生真面目な性格で完璧主義者」の人が、同時に「失敗し易い人」だったら…
「超」が付くほどの真面目な性格で、更に完璧以外を認めないにも関わらず、失敗し易い訳です。何やら雲行きが怪しいですね。

実はこれ、筆者自身を表した言葉なのです。完璧主義とは究極の減点主義であり、些細な失敗ですら認めません。さらに、生真面目な性格が完璧主義を「実直に」遂行する訳ですから、まるで鬼に金棒です。その一方で、どれだけ注意しても様々な特性により失敗するため、正反対の事象が起こります。

つまり、
「実直に完璧を目指す」→「失敗する」→「自分を締め上げ奮起を促す」→「失敗する」→「自分を再度締め上げ奮起を促す」→「失敗する」…
これを繰り返すわけです。

いつまで経っても自分自身を認められないので、ストレスが溜まります。この負のスパイラルにより、以前は常に自分自身の首を締めるような思いをしてきました。最近は完璧主義も鳴りを潜め、苦に思う機会は少なくなりましたが、依然としてその影響を受けている場面もあります。
今回は、自身の様々な特性により、失敗し易い筆者が感じる完璧主義が及ぼす負の影響と、それを逆転させる考え方について述べます。

完璧主義が筆者にもたらした弊害


完璧主義が強かった頃の筆者は、失敗を許容しない姿勢で自身に臨んでおり、それ故に、想定通りに進まねば、自身を激しく叱責し過度に自分を追い込んでいました。自己責任感が強いと言えば聞こえは良いですが、別の見方をすると融通が効かない頑固な性格でした。
その一方で、筆者はこれまでご紹介してきた様に、自身の特性上、どうしても失敗してしまうことがあるのです。
例えば、
・数字の桁数を読み間違える。
・日課として定めた事を毎日こなすことが難しい。
など。
真面目に取り組んでいるにも関わらず、失敗するのです。

当然、完璧主義者の筆者は自分自身を強く非難します。
-なぜこんな簡単な数字の読み間違えをするのか?
-なぜ、決められた事を毎日こなすことができないのか?

ひと通り、指摘すべき点は指摘し、同時に猛省します。

さて、失敗を繰り返すと、自身のみならず、周囲からも叱責を受けるようになります。数字の桁数を頻繁に読み間違えられたり、決まった事を毎日続けられない様子を見てると、不真面目に取り組んでいないか訝しみ、叱咤激励を入れたくなります。
しかし、既に自身で徹底的に叱責し、猛省していますので、自分と周囲という二重の圧力下に置かれ、過度なストレスが掛かることも少なくありませんでした。先述の通り、真面目に取り組んでいても失敗するので、誰も味方してくれないのです。
そしてこの状況が続くと、更なるストレスから身を守るため、次第に筆者は無意識に失敗自体を隠そうとするようになっていきました。つまり、言い訳をするのです。しかし、この姿勢は確実に周囲からの叱責を買います。失敗を繰り返す上に、言い訳までするのですから当然でしょう。

そして、完璧主義はこの様な状況を作るだけでなく、更なる問題も引き起こしました。それは、他人の失敗に対しても不寛容であるということです。想像してみてください。いつも自分の失敗に対しては全力で言い訳をするくせに、他人の失敗に対しては手厳しいのです。現在の筆者もこの傾向を引きずっていますが、以前はより顕著でしたので、当時の筆者は周囲からの評価も芳しくありませんでした。まさに四面楚歌の状態で、本当に辛いものでした。

完璧主義がもたらしたこの悪循環は、筆者の自己肯定感と周囲の評価を恒常的に下げ、ありとあらゆる行動の原資を奪っていきました。

真面目に取り組む自分をきちんと評価しよう


この状態は本人にとっても、周囲にとっても望ましいものではありません。
では、どうやって打開すべきでしょうか。それは、真面目に取り組む自分をきちんと自己評価することです。失敗は誰にでも起こり得ます。どんなに真面目に取り組んでいても、どんなに努力していてもです。そして、真面目に取り組む中で発生した失敗は、怠けて発生したわけではありません。だからこそ、失敗は誰かが許すことで解決するわけではなく、改善することで解決します。
つまり、叱っても何にもならないのです。

完璧主義から脱却できずにいた筆者は、まず考え方を変え、失敗は自身を成長させるダイヤの原石であると考えるようにしました。

  • 数字を読み間違えるのであれば、桁を単位として認識する。
  • 同じ事を毎日こなすことが難しいのであれば、その時々で出来ることを実行して、変動幅のある続け方をする。

これらの工夫は全て、考え方を変えたからこそ、実現出来たものです。

自分自身の認識を変えたことで、少しずつではありますが、失敗を無意識に隠さず、成長のためと受け入れるようになってきました。すると、徐々に周囲の理解者が増え始め、その輪は拡大し、自他共に認め合うことができる様になり、自己肯定感を維持することができます。
未だに筆者は完璧主義だった頃の影響で、失敗すると無意識に守りの態勢となり、身を保全するかのような言い訳を考えてしまいます。しかし、以前に比べその頻度は減っており、今後もその傾向は続いていきそうです。

真面目に努力して取り組んでいるからこそ、実際に動いているからこそ失敗することもあります。しかし、それは叱責すべきものではなく、改善して、次に繋げるべきものです。
真面目に取り組む自分自身に報いるためにも、まずはきちんと自分を評価することから始めましょう。

次回は、筆者がどの様に完璧主義から考え方を変えることが出来たのか、ご紹介します。

ABOUTこの記事をかいた人

野添 浩一郎 (阪和興業株式会社 大阪本社 人事部厚生課)

1989年生まれ。2015年末、ADHD(注意欠陥多動性障がい)と ASD(自閉症スペクトラム)の診断を受ける。その後、LD(学習障害)の特性がある事も判明する。それまで自身を健常者と見做して生活してきたが、生活の様々な場面で支障を来しており、それ以降、自身の障がい・特性を認めた上で活かすようになった。永らく、自身の特性から低い自己肯定感に苛まれていたが、大学院時代に知り合った留学生たちと、留学先の米国で自己肯定感を高めることになる。2016年末より現職。